▼ 以心伝心幻想
どんなに心を尽くして、言の葉を選び、
どんなに心を砕いて、意を尽くそうとしても、伝わらない…。
相手との会話に使用する単語の意味合いまで、
擦り合わせが必要なのではないかと危惧する今日この頃…。
途轍もない徒労感に打ちひしがれて想い起こすのは、
4年前にこの地に来られた女子大バレー部監督のお言葉。
----------------------------------------------------------------
「私は、3回、努力します」(この監督は元全日本女子バレーの選手)
どんな選手に対しても、私は3回努力します。
その選手に対して時間をつくり、
まずは選手の言い分を聴き、それからこちらの意を伝え、
互いの意志疎通に向けて言葉の限りを尽くして努力する。
でも私のその努力は3回まで。
4回目はありません。
何故なら、私には、他の選手を守る、という義務があるからです。
-----------------------------------------------------------
ふみみみ…。
非常に感銘を受けたのだけれど、
これが、私の日常生活の個々の場合、どう応用実践できるか。
●まずは会社で。
【3回】という回数の妥当性。
彼(彼女)に対する、採用した側の責任。 教育する側の責任。
●そして、PTA活動内で。
PTAという磁場の問題。
私の立場、相手の立場。
【任期1年。 さまざまな事情を抱えたお母さんがくじ引きで嫌々選ばれる】
【私はそんなに暇ではない、という常套句の裏にあるもの】
■ PTAは、行事消化型活動でしかないのか?
■ PTAが、各自の目指す理想?の家庭教育に関し、
当事者である保護者が(教師と)共に語り合い、
実践していくためのコーディネータ的役割を担うことは不可能なのか?
学校教育と家庭教育は連動していなければ意味がないのではなかったか。
|
© Rakuten Group, Inc.
| |